老人介護の仕事に、「死」はつきものです。
避けては通れません。
言ってみれば、向こうの世界に1番近づいている年齢の人たちの介護をしているのだから、それが身近にあるのはあたりまえのことですよね。
だけど、けっして、慣れることはない。
毎回、落ち込むし、
考えると、涙があふれてくる。
だからと言って、私は死を怖がっている訳ではありません。
〖生あるものは死あり〗
生きているものには必ず死が訪れるということは分かっています。
これまでも、私が担当していた(訪問してきた)利用者さんの「死」を目の当たりにしたことは何度もありました。
時には葬儀にも参列させていただきました。
「利用者さんの死」との向き合い方は、職員それぞれ違います。
自分が『乗り越えられる方法』が見つかれば、それで良いと思っています。
先日、私が担当していた入居者さんがご逝去されました。
この方は以前より「看取り」と伝えられていた方でした。
口から食べられなくなってから、3日目でした。
看取りには、延命(医療行為など)がありません。
治療しても回復の見込みがみられないということです。
自然にまかせる、最期を見守るということです。
かと言って、何もしない訳ではありませんよー。
残された時間を、その方らしく、平穏に過ごせるよう、お手伝いをします。
精神や身体の苦痛を緩和させてあげられるようにします。
実際は、「看取り」と言われても、その人により体調に波があります。
元気に回復している時期もあります。
急に落ちてくる時期もあります。
その方によって違いはありますが、何年もその波を繰り返す場合もあるのです。
すると、つい、看取りに入っていることを忘れてしまうのです。
そして急にやってくる「最期」に、こちらの気持ちが追い付かなくなります。
介護職のプロなはずなのに、これじゃダメですよね…😞
私は、最期のお別れをいつも心の中でお伝えします。
亡くなったお顔を見てると、それまでのその方とのいろんな思い出の場面や、笑った時のやさしい表情などが、「死に顔」に上書きされてしまうようで、つらくて、どうしても苦手です💧
苦しくなってしまいます😰
「ちゃんと顔を見て送ってあげないと!」
と言われた事もあります。
だけど、これが私の「利用者さんの死」との向き合い方。
どれだけこの仕事を続けていても、変わらないみたいです。
「利用者さんの死」との向き合い方は、自分の気持ちにムリをしないこと。
自分なりのさようならの仕方があってもいいのだから(^-^)
それでも私はこの仕事が好きだから、ずっと続けているのだと思います。
利用者さんの長い人生の最後のページに、ほんの少しだけでもかかわることが出来たことに、誇りが持てます。
その方に出逢えて良かったと思えるのです。